樋口一葉 『闇桜』

櫻のものがたり

明治以降の近代小説・現代小説から、 桜に因む物語をご紹介いたします。

樋口一葉 樋口一葉


樋口一葉の小説処女作。1892(明治25)年3月23日。数え21歳。発表は半井桃水が主宰する「武蔵野 第一編」
 
岩波文庫『闇桜』
















『闇桜・うもれ木 他二篇』岩波文庫 (1939年5月第1刷発行写真は2003年第14刷)

■樋口 一葉(ひぐち いちよう) 
1872年5月2日(明治5年3月25日)- 1896年(明治29年)11月23日)小説家。 東京府第二大区小一区(現・千代田区)内幸町生まれ。
本名は夏子、戸籍名は奈津。 中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水(なからいとうすい)に小説を学ぶ。 
生活苦により住む場所を転々とするが、1894年、本郷区丸山福山町(現・文京区西片)に移り、小説に専念する。
 此処で代表作『大つごもり』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』『たけくらべ』を執筆する。
『たけくらべ』は、雑誌「めざまし草」の合評欄「三人冗語」で森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨に絶賛される。 
わずか1年半でこれらの作品を書いたのだが、25歳(数え年)で肺結核により死去。 『一葉日記』も高い評価を受けている。(参考:wikipedia)


 

『闇桜』あらすじ

園田良之助22歳。中村千代16歳。幼馴染、兄妹のような仲好し。 ふたりは2月半ばの夕暮れ時、連れ立って摩利支天の縁日に出かけた。
 其処で千代の学友たちに「おむつましいこと」と声をかけられ、千代ははじめて良之助への恋慕の情を自覚する。 

しかし良之助は気付かない。千代は病に伏せ、日に日に衰弱してゆく。 
良之助がはじめて千代の深い思いを知るのは千代が息をひきとるその日である。 見舞いに来た良之助の眼にも今宵限りの命と見えた。
千代に促され帰ろうとする良之助に 『お詫は明日』 とか細い声。 

夕闇の中に桜の花がほろほろとこぼれ、哀しく響く鐘の音が聞こえるのであった。 

物語はこう結ばれている。
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風もなき軒端の櫻ほろ/\とこぼれて夕やみの空鐘の音かなし 

(かぜもなきのきばのさくらほろ/\とこぼれてゆふやみのそらかねのねかなし) 
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(上記「/\」は「くの字点」です)
こちらで↓全文が読めます。
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/4527_27840.html


 

つけたし

一葉が最も苦しい貧困時代を送っていたころの日記が『よもきふにつ記』(蓬生日記)である。
明治26(1893)年4月6日にはこう認められている。

 
 桃も咲きぬ。彼岸もそここゝほころびぬ。
「上野も澄田も此次の日曜までは持つまじ」など聞くこそいとくちをしけれ。
「此事なし終りて後、花見のあそびせん」などまめがるに、思ひ定めたる事あるをや。
折しも俄かに空寒く、人はそゞろ侘あへるを、「あはれ、七日がほどかくてをあらなん」と願ふもあやし。

此処に出てくる「彼岸」とはヒガンザクラ、「澄田」は隅田川の事。

「七日がほどかくてをあらなん」は、七日間は(桜が散らずに)このままであってほしい、という意味でしょう。