メルマガ初出

■第035号・2009/04/07

いらっしゃいませ。桜鯛のいいのが入っています。
うまそうだ。匂うがごとき 桜鯛だな
え?匂いますか。

 

桜鯛

目次

咲きにほへるは櫻花

春の鯛
《春ともなれば、やはり、鯛が食べたくなってくる。     -中略-    春の鯛がもっとも旨いような気がする》
(池波正太郎『作家の四季』-春の鯛ー作家の四季⑦より(講談社文庫)

 

桜の咲く時節になりますと、鯛は産卵のために沿岸に寄ってきます。この時期の鯛は美しい色調を帯びていますから、桜鯛とか花見鯛などと申しまして 珍重されます。(スズキ科のサクラダイというのは別魚)

 

桜鯛として愛でるのは江戸時代からのことでしょうか。越後の文人、鈴木牧之(すずきぼくし・1770ー1842・第009号既出)に
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鱗の花散って哀やさくら鯛
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の句があります。寛政8年(1631年)に旅先の伊勢(尾鷲)で詠んだものです。

 

落語の枕で演じられる「桜鯛」というのがありましたね。昭和の名人といわれる六代目・三遊亭円生は「桜鯛」の口演中に倒れ、最期となったそうです。

  
ある殿様のその日の食事は鯛でありました。
殿様は片面をぺろりと食し、「代わりを持て」と、
お代わりをご所望。
普段はひと口しか召し上がらないので、お代わりは用意してない。
お付きの者 機転を利かして
殿、ご覧ください。お庭の桜の花が満開です
殿様が桜を見ている隙に鯛を裏返して、差し出す。
殿様またもや平らげてしまい、
「代わりを持て」と。
おつきのもの困り果てていると、殿様いわく
代わりはまだか。ならばまた、桜を見ようか

あらすじを申し上げたところで面白いものではございませんが、かいつまんで申しますと、「桜鯛」は以上のような噺でありました。

桜の名がつく料理

鯛に限らず桜と名がつく料理や食材は少なくありません。

馬肉がと呼ばれるのは、その刺身が桜の花びらを連想させるからでしょうか。

桜の名がつく料理
桜鱒(サクラマス)は桜の時期が最もうまいとされています。
駿河湾の桜エビは春漁が先日解禁となりました。
花鯛と呼ばれるチダイも味がよくなってまいります。
桜煮はタコを桜色に煮る煮方です。同じくタコ足で桜煎りというのも。
桜蒸は道明寺粉と魚を桜の葉で包んで蒸しあげて、葛餡をかけるのが常道。
桜の花を混ぜ合わせた桜ご飯。タコ足の薄切りを入れた炊き込みを桜飯とも。
桜粥は小豆の入った粥で小正月に食べる。これは季節が違いました。
塩漬けの桜花漬けを湯に入れた桜湯(桜茶)。祝いの席ではお茶の代わりに出される。「茶を濁す」ことを忌み嫌うことから。「茶を濁す」はその場をごまかすことをいいますが、お若い人は使わない言葉になりつつあります。

咲き匂う

古から日本人は桜を愛で「咲き匂う」と表現してきました。
先ほどのお客様も「匂うがごとき」とおっしゃいました。
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見渡せば春日の野辺に霞み立ち咲きにほへるは櫻花かも
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万葉集にある有名な歌です。
【春日の野原を見渡せば霞が立っている様に見える 桜の花のようだ】   といったところでしょうか。

 

咲きにほへる」は匂うという意味ではなく、桜花が美しく色付いたということであります。

 

匂う」はもともと、色が美しく映える、という意味だったようです。元来「におい」や「かおり」は臭覚に関する語ではなかったんですって。古語辞典によりますと「にほふ」の「」は「」であるといいます。丹は赤色、赤土(丹土)の事です。「にほふ」の「」は「」であり際立つ事の意です。「」は活用語尾。「にほふ」とは赤く色付くということです。

 

突然ですが、『冬の色』という1974年発売のはやり歌がありました。
(山口百恵:唄、千家和也・作詞)
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あなたから許された 口紅の色は からたちの花よりも 薄い匂いです
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と唄いだします。       ↓↓↓↓

歌詞ですから辻褄を追求するのは野暮ではありますが、「♪口紅の色は、、」と唄いだしながら「♪薄い匂いです、、」と続くのが不思議でした。にほふとは赤く色付くこと であれば合点がいきます。

 

お客さまがおっしゃった「匂うがごとき 桜鯛」もこの意だったのですね。イキなお客さんです。

花見と桜

お馴染みの落語『長屋の花見』(貧乏花見)では、卵焼きは沢庵で、蒲鉾に見立てたのは大根でした。酒の代わりに渋茶を呑んで気炎をあげるというなさけない花見でしたが、 記録に残る最初の花見は、『日本後紀』(840年/完成)に記載があるそうです。

 

812年・嵯峨天皇(786-842) の花見がそれです。里の桜(ヤマザクラ)を宮中に
移植して宴を催したということです。それが今日の天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会に繋がっているのでありましょう。(コロナコロナ禍の2020年、2021年は中止 )

 

」という語自体はそれ以前の『日本書紀』(720年)の「履中紀」が初出だそうです。

  履中天皇(りちゅうすめらみこと・400-405年)は  ある冬11月(太陽暦12月)、  磐余市磯池(いはれのいちしのいけ)に船を浮かべて宴を催した。  今しも酒を飲もうとしているそのとき、酒盃にひとひらの桜の花びらが。。

季節はずれの花びらだが、どこの花だろうか

調べさせると、掖上室山(わきがみのむろのやま・奈良県御所市室付近)  のであったと。  天皇ははその椿事を喜び、宮の名を磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)  とした。
奈良県桜井市の地名起源の説話でもあります。

花見」という語こそ出てまいりませんが、このように最初から「桜」は(貴族の)とともに登場するのです。今日の花見の酒盛りも宜なるかなというところでしょうか。 と申しましても、奈良時代の花見は梅の木の下というのが主流であったようです。
万葉集(成立/759年以後)には梅を詠んだ和歌が119首、桜は46首。一番多い植物は萩142首ではありますが。(異なる数字の資料もあったのですが、今見当たりません。すみません)

 

平安時代になりますと、古今和歌集(905年/成立)では、桜46首、梅30首
鎌倉時代新古今和歌集では桜41首梅21首だそうでして、桜の存在感が目立ちます。
(※首数字は確証はございません。こちらのサイトを参考にさせていただきました↓
⇒http://www.route-press21st.jp/routepress21st/018/story/14-02-01.html)

桜と日本

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願はくは花の下にて春死なむ  そのきさらぎの望月のころ 
西行
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西行法師(1118年ー1190年)は願いの通り、如月の望月のころに逝ったのですが、日本人独特の桜と死を結びつける観念を増長することに、この歌が大きくかかわっているような気がします。西行が23歳の若さで武士を捨て出家した事も関連しているのでしょうか。

 

桃山時代醍醐の花見(だいごのはなみ1598年・慶長3年3月15日)は、豊臣秀吉が催した京都の醍醐寺における約1300人の花見の宴でした。

 

花見が庶民のあいだでも盛んになったのは江戸時代。八代将軍徳川吉宗(1684ー1751年)は隅田川の水質保全と水害対策のために向島堤沿いに桜を植樹しました。そこに人々が集まったのが今日の花見に繋がるといわれています。

 

竹田出雲らの『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら/1748年)の「半眼切腹」の場には有名な台詞が出てきます。
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花は桜木(さくらぎ)、人は武士
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このあたりから日本人の桜に対する感じ方が、異なってきたのではないでしょうか。 以前、桜は美しい女性であった筈です。

  • 古事記に登場する木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は桜の精であったというのは、後に作られた伝承であるようですが、
  • 本朝三美人の一人、衣通郎姫(そとおしのいらつめ)は翌朝天皇によって、美しい桜の花になぞらえて讃えられています。(日本書紀)
  • 人の男の求愛に自らの命を断つことを選んだ、桜児(さくらこ)の説話(万葉集)も然り。
  • 源氏物語、朧月夜君(おぼろづくよのきみ)も、
  • 謡曲「花筐」(はながたみ)の照日前(てるひのまえ)も、桜は美しい女性でありました。

 

それが幕末の志士達は散りゆく桜を美しい女性像ではなく、己の生命になぞらえていくのです。散りゆくことを美徳としたのでしょうか。やがては明治時代の陸軍唱歌(歩兵の本領)を経て、さらには軍国の花となり靖国の花となってゆくのはご承知のとおりです。
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敷島の 大和こころを 人問はば 朝日に匂ふ 山ざくら花
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江戸時代の国学者・本居宣長(1730ー1801)には、桜を愛でた歌が沢山あります。上の歌は宣長60歳の自画像に添えられたものです。朝日に匂う山桜の美しさを敷島の心として讃え歌ったものですが、後の時代に「大和こころ」をことさら精神主義へと関連付けられれるようになっていきます。特攻隊(神風特別攻撃隊)の部隊は、敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊と冠されていたそうです。

71歳の宣長が、秋の夜長に寝付けぬままに、春の桜を詠み続けた300首以上が寄せられた歌集『枕の山』があります。三重松坂市の本居宣長記念館ウェブサイトに載っています。➡『枕の山』

109 我心やすむまもなくつかれはて春はさくらの奴なりけり
110 此花になそや心のまとふらむわれは櫻のおやならなくに
113 櫻花ふかきいろとも見えなくにちしほにそめるわかこゝろかな

宣長『枕の山』(315首)から

 

近ごろ評判の本に内田樹・著『日本辺境論(2009年)藤原正彦・著『名著講義(2009年)があります。両書とも新渡戸稲造(1862 - 1933年)の『武士道』をその中で取り上げています。新渡戸は本居宣長が上の歌を

《ーー詠じた時、彼は我が国民の無言の言をば表現したのである。》

としています。そして内田樹は続けます。

《新渡戸は武士道の真髄を「山桜花」の審美的なたたずまいに託し筆を擱いてしまいます。それは結局「匂い」なのです。場を領する「空気」なのです》。   『日本人辺境論』新潮選書

櫻のカット
■日本には400種以上の桜があるそうですが、現在の桜といえば多くは「染井吉野」(ソメイヨシノ)です。オオシマザクラエドヒガンの自然交配によって出来た園芸品種です。江戸駒込の染井村から植栽が始められ、奈良の吉野から名を取り「吉野桜」と呼ばれていました。後に植栽地名を加えて染井吉野」となりました。江戸時代から明治時代にかけて全国に波及していきます。

 

ご存知のように染井吉野は花期が短く、いっせいに咲いて散ります。その散り際の有り様が死することの無常観になぞらえるのでしょうか。「仮名手本忠臣蔵」のころから桜に対する感じ方が、異なってきた、と申し上げましたが、それは染井吉野の普及とかかわりがあるとするのは、こじつけでありましょうか。

 

染井吉野は妖しくて、哀しい感じがするでしょう。
咲くときも散るときも、一生懸命すぎて切ない
」(渡辺淳一『桜の樹の下で』)

現代の作家の染井吉野観です。(渡辺淳一 1933年 - 2014年)

桜の物語


桜は数限りなく詠まれ また多くの物語にも登場してまいりました。桜にかかわる近代の物語を掲げてみます。(順不同)


小泉八雲(こいずみ やくも=ラフカデェオ・ハーン・1850年 - 1904年)
『怪談』には 「うば桜」の話が収められている。松山市大宝寺に伝わる身代わり説話によるもの。大宝寺のうば桜はエドヒガン。


樋口一葉(ひぐち いちよう1872年 - 1896年)
『闇桜』一葉の処女作。儚い少女の命と散りゆく桜が重ねあう幼なじみの淡い恋。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/4527_27840.html

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう1886年 - 1965年)
『細雪』のなかで「京洛の春を代表するもの」とした平安神宮の桜はヤエベニシダレザクラ


芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年- 1927年)
『或阿呆の一生』では向島の桜を評して「花を盛った桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに憂鬱だった」と。


宇野千代(うの ちよ、1897年1 - 1996年)
『薄墨の桜』は美事な花を拡げる樹齢1200年の名木、岐阜県根尾谷の薄墨桜に想を得た創作。波瀾の人生を歩んだ女の悲恋物語。
宇野は昭和42年、小林秀雄の紹介で根尾村の「薄墨の桜」を見に行き、物語をしたため、その保護を訴えて活動したことも知られている。


石川淳(いしかわ じゅん、1899年- 1987年)
『修羅』は応仁の乱を背景とする歴史小説。桜は美と狂気のシンボルであり、女主人公に重なるイメージでもある。


梶井基次郎(かじい もとじろう1901年- 1932年)
『桜の樹の下には』桜の木の下には屍体が埋まっている!」で始まる有名な作品。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html


坂口安吾(さかぐち あんご、1906年- 1955年)
『桜の森の満開の下』桜の木の下には魔性が桜鬼が棲む、桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42618_21410.html


大岡昇平(おおおか しょうへい、1909年 - 1988年)
『花影』
「もし葉子が徒花なら、花そのものでないまでも、花影を踏めば満足だと、松崎はその空虚な坂道をながめながら考えた」
葉子が桜に埋もれて死んでいく幻想の物語。


中村真一郎(なかむら しんいちろう、1918年 - 1997年)
『美神との戯れ』の帯には「わがポルノグラフィー」とある。1989年発表の作品。老いた画家であり陶芸家の私は桜に美しい女性の裸身の幻影を想う。
中村には『雲のゆき来』という」樹齢600年近い臥竜桜を描いた物語が先にある。


水上勉(みずかみ つとむ1919年- 2004年)
『櫻守』万葉の歌人が詠んだ桜はヤマザクラである。ヤマザクラの美しさに魅入られた植木職人弥吉の物語。昭和43年の新聞連載小説。登場人物竹部のモデルは『桜男行状』著者、桜研究の笹部 新太郎。
水上勉には『醍醐の桜』という私小説もある。


五味康祐(ごみ やすすけ、通称こうすけ・1921年 - 1980年)
桜の枝を居合いの技で斬り落とすことにより勝敗を決する『桜を斬る』は、3代将軍徳川家光の寛永御前試合なる講談本から想を得た短編。
同じく五味の『薄桜記』は谷中七面宮の満開の桜の下での決闘、丹下典膳と堀部安兵衛が登場する忠臣蔵外伝。


三島由紀夫(みしま ゆきお1925年- 1970年)
『近代能楽集』には『熊野(ゆや)という一編があり、桜を「哀れなものだ。哀れな貧しい花だ」と言わしめている。三島は桜を通俗な花とみているのだろうか。


皆川博子(みながわ ひろこ、1929年 - )
の第95回直木賞受賞作『恋紅』は、染井吉野の誕生秘話もまつわる、無名の役者に縋りついていく女の情念の物語。


有吉佐和子(ありよし さわこ 1931年 -1984年)
『非色(ひしょく)』絶版になっていたが昨年(2020年)河出文庫で復刊。戦後、黒人兵と結婚し幼な子を連れアメリカへ渡った笑子は人種差別と偏見のなかで生き方を模索する。《これが桜の花だろうか? 日本の?ポトマック河畔一帯に、一重の桜も八重桜も一斉に咲き誇っていたが、その咲き方はあまりにも猛々(たけだけ)しかった》


渡辺淳一(わたなべ じゅんいち、1933年 - 2014年4月30日)
『桜の樹の下で』母と娘が同じ男を愛してしまった悲劇は桜の魔性によるものなのか。
同著者『うたかた』には
「染井吉野は一生懸命咲きすぎて、見ていて苦しくなるが、山桜は心が和む」とある。


宮本輝(1947年-)
『夜桜』は芥川賞(『螢川』)受賞後の第一作。「下宿人お世話します」綾子の家の満開の桜を見下ろすその部屋に、今晩だけ寝てみたいという青年。
《彼女はいまなら、どんな女にもなれそうな気がした。どんな女にもなれる術を、きょうが最後の花の中に一瞬透かし見るのだが、そのおぼろな気配は、夜桜から目をそらすと、たちまち跡形もなく消えてしまうのだった。》(新潮文庫)『幻の光』に所載


村上春樹(むらかみ はるき、1949年 - )
『ノルウェイの森』'60年代学園闘争下の青春。京都北部の療養所に入所した直子を見舞う僕。
《春の闇の中の桜の花は、まるで皮膚を裂いてはじけ出てきた爛れた肉のように僕には見えた。庭はそんな多くの肉の甘く重い腐臭に充ちていた。そして僕は直子の肉体を思った  》
春の闇の中の桜の花は、染井吉野でしょうか。


辻井喬(つじい たかし 1927年〜2013年11月25日)
『西行桜』能楽から題材を得た4編からなる、現代を描く短編集。『西行桜』は巻末を飾る一遍。ヒロインのチェンバロ奏者・紀美子は、滅び行く旧華族。舞台は東京、アムステルダム、京都、吉野へと。吉野山を臨む別荘の庭での演奏会。そこには「西行桜」と冠された大きな枝垂桜が。チェンバロの奏でと桜の花はともに吉野の空に舞う。


【酔中歌】(あとがき)

■♪SPRING IS HERE(邦題:春が来たと云うけれど)      1938(w:Lorenz Hart /m: Richard Rodgers)
♪春が来たー♪という明るい歌詞ではないようです。春が来たのに、なぜかわたしの心は弾まない、、、失恋の歌ですね。

ミリー・ヴァーノン(Milli Vernon)の1956年録音のアルバム「INTRODUCING」にこの"SPRING IS HERE"が入っています。味わいのある、渋好みの歌い手です。1983年再デビューしました。向田邦子は著書『眠る盃』の中「水羊羹」というエッセイで語っています。
水羊羹を食べる時のミュージックはミリー・ヴァーノンの“Spring is here”が一番合うように思えます。 ー中略ー冷たいような、甘いような、生ぬくいような歌は、水羊羹にピッタリに思えます

↓Milli Vernon - Spring Is Here (1956)↓

日本三大桜というのがあるそうです。1つは先ほど挙げた「薄墨の桜」(岐阜県本巣市根尾)がそれ。あとの2つは「三春の滝桜」(福島県田村郡三春町)と「実相寺の神代桜」(山梨県北杜市)

さまざまの こと思ひ出す 桜かな    芭蕉

■、小林秀雄(こばやし ひでお、1902年- 1983年)の著作を一所懸命に読んだつもりになっていた頃がありましたが、いまだになにもわかっていないようです。『本居宣長』の著作もある小林もまた桜を愛でる人でもありました。小林の桜は主に自生の山桜霞桜です。 ソメイヨシノを品がないと評しています。(小林秀雄講演 第1巻―文学の雑感 [新潮CD] )  「花の美しさというものはない、美しい花だけがある」『当麻』
小林秀雄 講演 山桜の美しさ➡ https://youtu.be/55g93dHM7YE

池波正太郎作家の四季』(講談社文庫)に『桜花と私』と題する短いエッセイがあります。日本の敗戦が必至とみられるころ、著者池波は横浜海軍航空隊にて、上官の部屋にひとりでいます。散りゆく桜の花びらが室内に舞いこんできて、テーブルや床に敷かれています。それを見て、来年の春に、ふたたび桜花を見ることはできまいというおもいが胸にこみ上げてきます。ところが、

「死を覚悟していた私は、戦争が終ったとき生き残っており、今日に至ったが、その後、何度も春がめぐり来て、そのたびに桜花を見ているが、もはや、あのときの自分の眼や心を取りもどすことはできないでいる。
桜花を見る、今の私の眼は、すっかり濁ってしまった」

 

今日の参考書

参考書
■小川和佑・著『桜と日本人』新潮選書
■池波正太郎・著『作家の四季』講談社文庫
■藤原正彦・著『名著講義』文藝春秋刊
■内田樹・著『日本辺境論』新潮新書
■その他

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