■032号■無花果とクレオパトラの夢

いらっしゃいませ、 涼しくなってまいりました。

『おやじの店は何年になる。。。。

 そうか、この秋で33周年か。お互い歳をとってしまったが

 お前さんも、あたしも、ぱっとしない人生だったなぁ。

 夏も終わりか  。一本燗けてくれ。なにか見繕って、、 』

何をおっしゃいます。

 花は無けれど、実のある人生。。。。なんちゃって。

            

無花果(イチジク)の黒胡麻かけ】です、どうぞ。


◆きょうの品書き(目次)◆
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イチジク黒胡麻掛け

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1.【イチジクの 嚢(ふくろ)】

 夏の終わりから秋にかけてがイチジクの旬。

 イチジクは花がないのに実をつけるところから

無花果】と書くといわれますが、じつは、あの実が花でもあるのです。

隠頭花序(いんとうかじょ)」というそうです。花嚢(かのう)の内面に

たくさんの花をつけるわけです。

イチジク

 花嚢(かのう)というのは 花を覆っている袋のことです。

オトコが持っている袋は陰嚢です。ふぐり です。関係なかったね。もとい。

 イチジクのあの粒粒の舌触り、アレが花なのですね。

実ではなく花を食べているわけです。

イチジクの粒粒は雌しべの感触であったのだ、てなことになりますカナ。

 古名では「映日果」と書きます。中世ペルシア語やウイグル語では

イチジクを「アンジール」というのだそうでして、

中国で「映日」と音写され日本に渡って「果」が加わり「映日果」となったと。

 その音読み「えいじつか」が「いちじく」へと転じて言ったというのが 

いちじく語源 一つ目の説。

 二つ目は、一日一果実ずつ熟すから「一熟(いちじゅく)」。

転じて「いちじく」と呼ばれるようになったのだという説。

 日本に入ったのは江戸時代 

寛永年間(1624〜1643)といいますから

左程古い事ではありません。

ところが原産地 小アジアでは紀元前200年ごろには

すでに栽培されていたようです。

 

2.【失楽園とイチジク】

 古いお話でイチジクとなれば、「アダムとイヴ(エバ)」。

旧約聖書『創世記』のなかのお話。

蛇にそそのかされて 善悪の知識の木の実を食べたアダムとイヴは

裸であることに気づき、イチジクの葉で腰を覆うのでした。

 アダムとイヴの楽園喪失について詳しくも壮大な物語は17世紀イギリスの詩人

ジョン・ミルトン(1608年 – 1674年)の長篇叙事詩「失楽園」。

 英文学最大の傑作のひとつだとと言われています。私は読んでいませんけれど。

 日経新聞・朝刊に連載されていた渡辺淳一の「失楽園」(1996年)なら

読みましたヨ。中年男と人妻が情事を重ねる描写を朝から読んでいたんだよね。

 ジョン・ミルトンに戻ります。「失楽園」は、1万行を超える大叙事詩。

旧約聖書『創世記』の1〜3章の挿話から引いた、アダムとイヴの堕落と再生を描く全12巻です。

第8巻で、アダムがその誕生について語り、

第9巻でアダムとイヴが禁断の木の実を食う話になっていきます。

ミルトンは、自身の失明後に口述筆記でこれを著しました。

 ところで、「禁断の木の実」はリンゴだと一般に言われていますが、

イチジクだという説もあります。

 『創世記』には何の果実であるかという記述はないようです。

 「リンゴ」はラテン語では果物全般を指すのだそうです。

 旧約聖書、楽園の章にある唯一の果樹はイチジクであるそうな。

「旧約聖書」がわかる

 1998年 発行の「『旧約聖書』がわかる」というムックがあるのですが、その中の、

禁断の実は本当にリンゴだったのか」(多田智満子・英知大教授)と題する小論にものっていました。

 多田教授はイチジクを

『垂れさがった実の房をいっぱい盛りあがらせたこの木は、
いかにもおびただしい乳房をもつ原女神といった趣がある。』
としながらも、

「禁断の木の実」はイチジクであった、 とまでは 断定していらっしゃいませんが。

【参考:「『旧約聖書』がわかる」1998年朝日新聞発行・アエラムック.37

 

3.【クレオパトラとイチジク】

 

 またもや英文学の歴史に残る巨匠が登場。

エリザベス朝演劇の代表的な劇作家ウィリアム・シェイクスピア(1564年 – 1616年)。

 四大悲劇『ハムレット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』から

 晩年のロマンス劇(『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』

『テンペスト』)へと移行する前の代表作、

 『アントニーとクレオパトラ』(Antony and Cleopatra、1606 – 07年)

この悲劇のどこにイチジクが出てくるのかっておっしゃるのですか。

ま、お聞きください。

 「ロミオとジュリエット」が若者のひたむきな恋なら、

こちらは 、終焉に向って燃え盛る、燃え尽きる。

もはや中年にさしかかったかともいえるクレオパトラの激しくも悲恋の物語。。

 居酒屋おやじが言うとシェイクスピアも安っぽくなっちまうね。

 とかくに

中高年の恋は始末に終えません。って、すぐ話が飛んでしまいます。

 戻しましょう。

 アントニーの自害を知ったクレオパトラは毒蛇を仕込んだイチジクの籠に

手をいれて自らも命を絶つのです。。

 『麻薬のように快い、空気のようにやわらかな、この身をやさしゅうに、

   ー おお、アントニー ー       』
 (福田恒存・訳・岩波文庫版 )

 毒蛇に乳房を噛ませ、死に向かう最期。クレオパトラ、恍惚の台詞です。

毒蛇が入った籠は イチジクの実に覆われていたのでした。 

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漱石の『虞美人草』のなかで、「藤尾」が読む本にこの場面がありましたね。

「藤尾は黙って最前小野さんから借りた書物を開いて続を読んでいる。
『花を墓に、墓に口を接吻して、憂きわれを、ひたふるに嘆きたる女王は、浴湯をこそと召す。浴みしたる後は夕餉をこそと召す。この時賤しき厠卒(こもの)ありて小さき籃(かご)に無花果を盛りて参らす。女王の該撒(シイザア)に送れる文に云う。願わくは安図尼(アントニイ)と同じ墓にわれを埋めたまえと。無花果の繁れる青き葉陰にはナイルの泥(つち)の焔の舌を冷やしたる毒蛇を、そっと忍ばせたり。該撒(シイザア)の使は走る。闥(たつ)を排して眼(まなこ)を射れば——黄金(こがね)の寝台に、位高き装を今日と凝らして、女王の屍は是非なく横わる。   』」

 青空文庫・夏目漱石・虞美人草

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4.【フォア・グラとイチジク】

 日本語イチジクはペルシャ語の「Anjir(アンジール)」が語源らしい、

というお話をしました。

 英語では【fig】です。ラテン語の古名でイチジクを【ficus】といい、

その語源はギリシャ語の sycon にあるそうです。

 突然ですが、世界三大珍味のひとつ、フォア・グラが登場。

ガチョウや鴨の肝臓を人口肥大させたあの、フォア・グラ(Foie gras)。

もちろんフランス語です。

 「フォア(foie)」は「肝臓」、「グラ(gras)」は「脂の多い」とか

肥大した」などの意味です。

 ですからフォア・グラは「肥大した肝臓」の意味ですね。

 その昔、ラテン語の古名では

「肥大した肝臓」は「jecur ficautum」だったと。

【jecur】が肝臓、【ficautum】とはさっき出てきました【ficus】、イチジクのことです。

 現代のフォア・グラは軟らかく蒸したトウモロコシをガチョウなどの胃に詰め込むこと1日3回 という強制的な製法なのですが、当時はイチジクを食べさせ太らせていました。

 年月は経ち、「jecur ficautum」の「jecur」が略され、「ficautum」だけで、

「肥大した肝臓」の意味で使われるようになります。

 「ficautum」はフランス語に入りやがて「foie」になったと。

フランス語「Foie gras」の「foie(肝臓)」は元はイチジクの意味だったのです。

 「gras」の語源はラテン語「cassus」で「濃厚な、固い」という

意味なのだそうです。

 

5.【イチジクの手】

 英語でイチジクは「fig」だと先ほど話しました。

 「Fig hand(いちじくの手)」という手で形作るサインがあります。

Fig sign」とも言います。

 握り拳のひとさし指と中指の間から親指の先端をのぞかせるという、

例の かたち です。性交の意味だったり、女を侮辱する意味だったりで

上品といえるサインではないのですが。




 このサインの名がなぜ「fig hand」かというと、イタリア語かららしい。

イタリア語ではこのサインを「mano fica(マーノ・フィーカ)」といいます。

 

 ⇒参考:wikipedia・リンク画像⇒⇒ 

「mano」は「hand」で、「fica」は俗語で女性器のこと。

イタリア語でイチジクは「fico」。一文字違い。 

 この語が英語圏に入ったときに間違えたのかな。

あるいはわざと言い換えたのか。

  Laurence Urdangという言語学者が書いた

The Whole Ball of Wax” (1988)という本があり、 

fig(いちじく)は卑猥な言葉として使われている、その理由は形が陰嚢

似ているからだ」  と書かれています。

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あれ、お客さん、寝ているんですか。

 『お前なぁ、面白くないんだよ。

わけのわからんカタカナ語ばっかりならべて。

  燃え盛る恋やら卑猥なイチジクだとか、爺いが話すことじゃ なかろう』

なんだ そのあたりは聞いていたんですね。

 もう少し続きますよ。

 

6.【イチジクを喰った女】

 イチジクの事がふんだんに登場するミステリーがあります。

・イチジクの茎で金属を磨く

・イチジクの多くの種類

・イチジクは信仰の対象であった。

・イチジクの木で作った男根の彫刻やイチジクの葉の首飾り

・イチジクは悪魔に取り付かれた木

・イチジクの木で造られた棺

・イチジクの語源は女性器

・イチジクの菓子や料理、干しイチジク

ざっとページを括ると上のような事柄の記述に出くわします。

イチジクを喰った女

(ジョディ・シールズ・著、奥村章子・訳、ハヤカワ文庫)

イチジクを喰った女

 物語の舞台は1910年のウィーン。夏の終わりの異様な暑い夜、

公園で若い女ドラの死体が発見されます。

解剖の結果、死の直前にイチジクを食べた事がわかります。

 捜査を担う警部は当時の科学技術、それに観察と推理とを駆使した

正統的な捜査で解決に挑みます。警部は犯罪心理学の基礎を築いたといわれる

ハンス・グロスの『犯罪捜査法』を信奉しており、悉く持ち出します。

 警部の妻も独自に捜査に乗り出します。

妻はジプシーの使用人に囲まれて育ったハンガリー人です。

ジプシーの迷信や呪いに頼ったりと、警部とは対照的な捜査方法です。

タロットカードで占ってみたり、ガチョウの肝の色で天候を予想したりしながら、

ウィーンの街を調べ歩くのです。

 作者 シールズは

フロイトの『あるヒステリー患者の分析の断片』(通称:「症例ドラ」)に

物語のヒントを得ているそうです。

 とは、言いましても、居酒屋おやじの素人判断では、

所謂フロイト的な精神分析に左程重きを置いているようには思えません。

 門外漢の知ったかぶりで申し訳ありませんが、無意識の発見とか夢の解釈、

あるいはヒステリー症状の分析等という部分は希薄かもしれません。

 文庫の帯にある、

フロイトが書いたミステリ、と言っても疑う者はいまい」を

期待したら、ちょっと違うかもしれません。すんません。えらそうに。

 この書はミステリーでありますが、

寧ろ当時20世紀初頭のウィーンの華麗で 糢糊とした雰囲気が味わえる、

そこが魅力の小説のような気がいたします。

 当時のウィーンはオーストリア=ハンガリーの二重帝国の首都でした。

1918年には第一次世界大戦が終結します。

落日直前の輝けるウィーンが舞台です。

 訳者は文庫のあとがきで書いています。

本書の『イチジクを喰った女』(原題 The Fig Eater)は、

ドラが禁断の木の実を食べてしまったせいで命を落とすはめになったことを

示唆しています。もちろん、毒が入っていたという意味ではなく。
  」

 ほらね、禁断の木の実はイチジク じゃん。

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お客さん、,,,

 ほんとに 寝ちゃいましたか。。

 どんな夢、見てるんだろね。

 無花果  かな。。。フフ。

 

7.【酔中歌(あとがき)】

Cleopatra's Dream

♪ Cleopatra's Dream  (邦題:クレオパトラの夢) 

The Scene Changes (The Amazing Bud Powell, Vol. 5)

バド・パウエルBud Powell(p)、ポール・チェンバースPaul Chambers(b)、アート・テイラーArthur Taylor(ds)

『The Scene Changes 』の冒頭を飾るバド・パウエル(Bud Powell)のおなじみの名曲。

1958年12月29日録音の“アメージング・シリーズ”最後のアルバム、

↓↓↓ Cleopatra's Dream ↓↓↓
 

これを聞いてジャズが好きになったというオヤジたちがなんと多いことか。

以前村上龍のTV番組「Ryu's Bar 気ままにいい夜」(1987年〜1990年)のテーマ曲に採用されていたっけ。演奏は山本剛トリオだった、というのもなぜか知っている。

神田にある「Jaz Spot STEP!」というジャズbarで、山本剛トリオの”クレオパトラの夢”を聴いたのは2002年だったか。

↓↓↓クレオパトラの夢 - 山本剛トリオ↓↓↓

■英語で【I don’t care a fig.】は「全く問題にしない」という意味で

使われるそうですが、由来は 知りません。教えてください。

■芥川龍之介はイチジクが好物だったらしい、と なにかで読んだ。

無花果(いちぢく)が登場する作品は「沼地」や「さまよえる猶太人」など。

■中原中也には「いちぢくの葉」と題する詩が少なくとも2篇はある。

そのうちの一篇。↓

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いちぢくの葉

いちぢくの、葉が夕空にくろぐろと、

風に吹かれて

隙間より、空あらはれる

美しい、前歯一本欠け落ちた

をみなのやうに、姿勢よく

ゆふべの空に、立ちつくす

——わたくしは、がつかりとして

わたしの過去のごちやごちやと

積み重なつた思ひ出の

ほごすすべなく、いらだつて、

やがては、頭の重みの現在感に

身を託し、心も託し、

なにもかも、いはぬこととし、

このゆふべ、ふきすぐる風に項(うなじ)さらし、

夕空に、くろぐろはためく

いちぢくの、木末(こずえ)みあげて

なにものか、知らぬものへの

愛情のかぎりをつくす。

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