■009号■街道をゆく。テンプラのみち

 今年の夏休みはどこへも行かずじまいでした。のんびりと過ごしました。
 昨年夏は 司馬遼太郎の「街道をゆく23『南蛮のみちII』」に触発されてポルトガルを旅してきたのでした。

 その『南蛮のみちII』にポルトガル語から転じた日本語を、つづった文があります。ベランダ、メリヤス、ビロード、ボタン、ラシャ、マント、などがでてまいります。
 南蛮のみちII
ところが、テンプラがでてこないのです。天麩羅(テンプラ)の語源には諸説ありますがポルトガル語から転じたというのが定説かと思っていました。
 司馬遼太郎は何故テンプラを避けたのか。

 ポルトガル語が語源ではなかったのか。居酒屋おやじ ごときにわかるはずはありません。
が、その諸説を追いかけてみましょうか。何か手懸りが。

 


◆きょうの品書き(目次)◆
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■天麩羅(テンプラ)の語源
と、はじめては見ましたが、もうお手上げ。だってね、江戸時代からすでに、てんぷら語源論争があったんですから。

【1】山東京山による山東京伝・命名説

 有名なおはなしですからご存知の方多いのでしょうが、ご紹介しておきます。
まず登場人物3人。

  • 山東京伝(1761-1816 さんとう・きょうでん)戯作者、浮世絵師、学者、狂歌師、喫煙具商などなど。生涯に名が33個あったといわれる。
  • 山東京山(1769-1816 さんとう・きょうざん)京伝の実弟。戯作者、篆刻家。
  • 鈴木牧之(1770-1842 すずき・ぼくし)越後の文人、紀行作家。新潟県南魚沼郡に鈴木牧之記念館がある。

 さあ、始めましょう。その前にグラスのビール飲み干しちゃってください。もう1本抜きましょうか。すみませんが手酌でどうぞ。

 18歳で画家として世に出たました京伝は20歳ごろから、黄表紙といわれる絵入り読物を書きはじめ、それらは大好評。その後、遊郭を描いた洒落本を出し これも大人気。風俗を乱す本を出したかど で50日間の「手鎖の刑」に処されるのはもっと後の話。(1791年30歳ごろ)

 京山は兄に倣って、戯作者になったんですな。で、1846年に出した著書、『蜘蛛の糸巻(くものいとまき)』のなかで、「今は天麩羅の名も文字も、海内に流伝すれども、亡兄 京伝翁が名付け親にて、、、」と綴る。

 亡き兄、京伝が、天明の初めごろ(1781年ごろか)に「天麩羅・てんぷら」という語をつくったというんです。

 近世越後の雪国の世界を描いた傑作といわれる、鈴木牧之(ぼくし)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』が世に出たのはは天保8年、1837年。
牧之(ぼくし)68歳。執筆を志してから約40年。滝沢馬琴や山東京伝に出版を依頼したが叶わず、京伝の弟、京山の手によって江戸文渓堂から刊行。
 本来は越後の生活や年中行事を紹介する民族誌であるこの書に、京山は、てんぷらの名付け親は京伝であると 自説を掲載させているのです。

 その仔細(しさい)を京山はこのように続けます。

 京伝のところへ出入りの利助という男がきて、「大坂にて つけあげ といふ物、江戸にては胡麻揚げとて辻売りあれど、いまだ魚肉揚げ物は見えず」と言う。

そして、

  「これを夜店に売らんに、そのあんどんに、魚の胡麻揚としるすは、
なにとやらん物遠し。語声もあしく、先生名をつけてたまはれ


 それで京伝は「天麩羅」と書いてやったのだと。利助は大阪から駆け落ちしてきた男ですから天竺浪人(てんじくろうにん。宿無しのこと。)です。

 天竺浪人がふらりと江戸へ出て辻売りをするのだから、天竺のテン、ふらりのフラで てんぷら。

 漢字にいたっては、天竺浪人の天、「是に麩羅といふ字を下したるは麩は小麦の粉にて作る、羅はうすものとよむ字なり。小麦の粉のうすものをかけたといふことなり。」ということだそうで。

 以上が、京山による兄、京伝の天麩羅命名説。なのですが、これが後に簡単にくつがえされてしまいます。

【2】天明年間(1781~1788年)以前のてんぷら

 ビールが空になってしまいましたね。そうですか、お酒になさいますか。いつものお気に入りのやつ、ひやで。かしこまりました。

 先ほど申しましたように、京山によりますと京伝が「天麩羅」と命名したのは天明の初年であるとなっております。

 天明年間は8年間、西暦で1781年から1788年です。

それに以前に てんぷらという語はなかったのでしょうか。

 有名な話しでは、徳川家康は鯛のてんぷらにあたって死んだというのがあります。

 元和(げんな)2年(1616年)、

京の豪商、茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)が駿府(静岡)の家康のもとへ年賀に来たとき、京都で流行っている食べ物を紹介した。

 正月の21日、家康は田中城(今の焼津市か藤枝市か)近郊へ鷹狩りに出かけた時に、茶屋四郎次郎が伝えた料理を作らせ食べた。それは、鯛を油で揚げて韮(ニラ)をすりかけたもの。

 同日、深夜にわかに腹痛をおこし発病。そのご病状は一進一退するが3ヵ月後の同年4月17日に死去。享年75歳。(『徳川実記』)

 これが家康、鯛のてんぷら中毒死亡説の出所なのですが、この話ではまだ「てんぷら」という語はでてきません。

 家康没53年後の

 1669年(寛文9年)『料理食道記』に「てんふら 小鳥たたきて鎌倉、えび、くるみ、くづたまり、、」とあり、「」ではなく「」となっています。

 1672年(寛文12年)『料理献立集』に「きじ、てんふらり」という「」がついた語があらわれる。だけど、これどんなものかは(わたしには)分からない。この「てんふらり」、あとで出てきますから。

 1746年(延享3年)『黒白精味集』(こくびゃくせいみしゅう)に「てんふら」の作り方がでてくる。鯛の切身にうどんの粉を卵でねった衣をつけて油で揚げる、とあり、まぎれもなく てんぷら の登場です。

 ですが、これは写本といいまして手書きの本です。版本/刊本としては、 翌々年刊行の

 1748年(寛延元年)『料理歌仙の組糸』(かせんのくみいと)があります。

 
 この本には「きくの葉てんふら、、」「鯛切身てんふら、、」があり、「てんふらは何魚にても 饂飩(うんとん=うどん)の粉まふして油にて揚げる也」とつづきます。 これは、今でいう「空揚げ」ですね。

 さらに「但まえにある 菊の葉てんふら又ごぼう れんこん長いも 其外何にてもてんふらにせん時は、饂飩(うんとん)の粉を水醤油 ときぬりつけて揚げるなり

 とありますから、野菜の衣には醤油味をつけていたんですな。これは普茶(ふちゃ)料理の油じ(ゆじ)を連想させますね。

 
 そのあと、「常にも、右の通にしてもよろし」と出てきますから、魚でも醤油味の衣あげOKということです。

 どうも、このあたりが、「てんぷら」の初出ということになるらしい。

 宝暦年間(1751年ー1763年)に入りますと

 1760年(宝暦10年)『献立筌』(こんだてうけ)

 1764年(宝暦14年)『料理珍味集

 『當流料理献立抄』(とうりゅうりょうりこんだてしょう・刊年不記)、など、現代のものに近い「てんぷら」がでてまいります。

 というわけで、天明年間以前にも「てんぷら」という言葉はあったようです。京山がいう京伝・命名は覆されてしまいました

 ですが、 名付け親は京伝でなくとも、「天麩羅」の漢字をあてたのは京伝であると、私、居酒屋おやじはとしましては 思いたいのであります。

 ところが、

京伝・花之笑七福詣 京伝は 1795年(寛政7年)に出した『花之笑七福詣』という本にてんぷらの挿絵を載せているのですが、なんとその絵には

 「名代 てん婦ら」となっているのではありませんか。すると京伝が漢字「天麩羅」を考えたのだというのも、京山の創作かもしれないね。


 これ以後江戸では屋台の天麩羅が普及してまいりますが、その語源については 定説がみつかりません。

 「天麩羅阿希」と書いて(あぶらあげ)と読ませるとこらから、という1843年(天保5年)の

虚南留別志(うそなるべし)』や、その10年後の

喜田川守貞の『守貞漫稿』(1853年嘉永6年)では、京阪では魚のすり身を揚げたものをてんぷら とよび、江戸のてんぷらは つけ揚げという、となっております。

 「つけ揚げ」というのは、先ほどでてまいりました。天竺浪人、利助のところで。

 ややこしいでしょ。おなかすきましたか。いま穴子のてんぷら、揚げてますから もう少し辛抱してください。

【3】外国語 語源説 その1

 広辞苑と大辞泉わたしの手許にある「広辞苑」(昭和47年版、古いね)「テンプラ」を引くと、「temporaポルトガル(語)斎時の意ともいう」とでています。

 また、小学館の「大辞泉」(1998版)では語源はポルトガル語やスペイン語など諸説ある、となっております。

近代の国語辞典の第1号といわれている大槻文彦の「言海」(1889年ー1891年(明治22年ー24年)刊行)では、ポルトガル語説を併記して

「テンプロ(templo)」をあげ これは「キリスト教寺院」のことだとしながらも、てんぷらの語源としては強引過ぎるかもしれない、としているのです。

 その後の「大言海」(1932-1937年)は「テンポラ(tempora)」にその語源説を変えています。「断食の日」の意味となっています。

 私の「広辞苑」とおなじですね。ところが、テンポラはイタリア語だそうで。私は調べたわけではありませんが イタリア語だとしたら唐突すぎはしませんかい。江戸時代、それほどの親交がイタリアとあったのかい。すみません。あげあし取るつもりは毛頭ございません。

 外国語説を整理しておきます。

  • templo  ポルトガル語  キリスト教寺院
  • tempora イタリア語   キリスト教の断食の日
  • tempero  ポルトガル語  調理
  • tempra  インドの方言  ポルトガル語のtemperoが変化
  • templar  スペイン語   味をつける 温める
  • temperar ポルトガル語  味をつける 温める
  • templanza スペイン語   節制
  • templa スペイン語   テンペラ絵の具
  • tempra  イタリア語   焼きいれ

 なんだぁ、こりゃ。頭にテンペやらテンプ持ってくる語を探せばいくらでも出てきそうだね。

 でもねこれ全部、あたしが本、雑誌、辞書、ネットで調べた、名のある先生たちの御説ですからね。おもしろいしょ。インドの方言まででてきちまうあたり。それがイタリア語と同じだったり。

 あ、いけねえ。さっき私が生意気言いました、テンポラはイタリア語だけでなく、スペイン語でもあるんですって。

 もう、穴子のてんぷら召し上がってしまったんですか。そろそろ、お食事がよろしいのですか。あと少しだけお付き合いください。

 
 中国語源説をほんのさわりだけ。そしたら天茶(てんぷら茶漬け)でもおつくりしますから。

【4】外国語 語源説 その2 中国語説

 もうお忘れでしょうか、『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』。そうです。

2本目のビールのときにお話した鈴木牧之(ぼくし)の越後民族誌。

 
 これに出てくるんですね。中国語源が。京山が京伝命名説を披露したあと、北海園という人が明(みん)の『事物紺珠』という書に てんぷらに似た料理の記述があるという。

 「塔不刺(たふり)}という料理だと。これは本来は「塔不刺鴨子」と書き、「たぷらやーず」と発音するようです。ちょっと苦しいけど、音的にはてんぷらに似ていなくはないか。

 これこそが、「てんふらり」だ、というう学者さんもいらっしゃいます。「てんふらり」、覚えておいでですね。ビールからお酒に変わった後で出てまいりましたでしょう。

 で、べつの学者は 「塔不刺鴨子(たぷらやーず)」は、オランダから明にわたり、中国料理になったものだと、おっしゃいます。

 でもこれは、スープ料理なのだから、てんぷらとは関係ないとする、先生もおいでです。

 
 諸説にぎやかでしょう。あたしのとこは 夏枯れでしょうか、賑わいに欠けていますが。余計な話でした。

 さっきの明治時代に出た「言海」に中国語源説、一つ載っていまして、「転不稜(テイエンブロン)」。しかし大槻先生、これは疑わしい説であることご自身で書いてらっしゃいます。

 「顛不稜(テイエンブロン)」とも書き、餃子みたいなものですって。

 さあ、天茶まであとすこし。あたしのじゃなくてお客様の天茶。

 ※1715年(正徳5年)近松門左衛門の浄瑠璃、ご存知『国姓爺合戦(こくせんやがっせん)』。明朝復興を目指した国姓爺の戦乱記。これに出てくる唐人唄の中に 「テンプラ」という詞があるそうな。これ、未確認情報ですけど。調べておかなければいけませんね。暫くお待ちくださいね。

 どうも、どうも、お待たせしました。熱いですからお気をつけてお召し上がりください。

 あたしも奥へ引っ込んでいただいてまいります。腹減った。


【5】酔中歌(編集後記)

◆◆♪Misty 1954 (w)Johnny Burke (m)Erroll Garner
エロル・ガーナーの代表作。自身のトリオでの発表が1954。ジョニー・パークが詩を書いたのは翌年'55年。今や歌のほうがポピュラーかな。
■サラ・ヴォーンがうたう♪Misty ↓

♪Misty - Sarah Vaughan

■てんぷらの語源については、定説 さだまらぬのが定説、といったところでしょうか。
いまだ 霧の中です。(だから♪Misty。苦しまぎれの選曲おわかりですよね。)
■さすが司馬遼太郎はこのようなこと、先刻ご承知で、ポルトガル語から転じた日本語の中にテンプラを入れなかったのかも知れません。
■今日も長くなってしまいました。これでもずいぶん 端折ってるんですが。テンプラに関してのおもしろ話またいづれ。
どうもありがとうございました。

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